子どもの虐待が起こる背景について考えてみた
Yuki(ユウキ)です。
今週のねほりんぱほりん「わが子を虐待した人」の放送に刺激を受けて、こどもへの虐待についての記事を書きます。
僕自身4歳の息子と2歳の娘の子育てをしています。
ねほりんぱほりんの紹介記事はこちら↓
yuki-changetheworld.hatenablog.jp
目次
虐待はとても身近な問題
時々目にする、子供への虐待のニュース。
この手のニュースは心がギューッと締め付けられるような感覚を覚えます。
平成30年度の児童相談所への相談対応件数は約16万件。
週に一人、日本のどこかで子供の命が虐待によって奪われているようです。
虐待の無い県なんて存在しません。虐待はどこにでもある身近な問題です。
なんでそんな酷いことを?、、、
どうして誰か救ってあげられなかったの?
と思うのと同時に、自分の育児を振り返って、あれは虐待だったんじゃないかなと思い当たるところもあります。
具体的に言うと、子供が言うことを聞かない時に頭を引っ叩いたことがあります。懺悔
暴力で言うことを聞かせるというのは、とても短絡的な行動だし、幼稚なことです。
暴力で相手をねじ伏せるという行為を、子供に身を持って教え込んでいるようなものです。
言葉で叱りつけるという行為も賛否両論あるかと思います。
本当は叱りつけること自体良くないことだと思います(僕の個人的な見解です)。
時間をかけて真剣に向き合えばちゃんと伝わることだって沢山あります。
ただ、時間に余裕が無い時などはどうしても、良くないと感じる行為について怒ってしまうことがしばしばあります。
それに子どもが危ないことをした時に、危険を教える場面などでは、大きい声で真剣に言った方が子どもにもより伝わるでしょう。
それでも僕が気をつけてるのは、子どもの人格を傷つけるような言葉かけをしないようにすることです。
その子の人間性を否定するようなことを言えば、心の傷として残ってしまうからです。
その心の傷は、その後の人格の形成へ大きく影響し、大人になっても尾を引いたりします。
そしてこういうのは精神的(心理的)虐待にあたります。
そう考えると、虐待って表面化してる16万件ですら氷山の一角で、もっともっともっと多いものなのでしょうね。
誰しもが虐待の加害者になりうる?
子育ては、とても大変なことです。
虐待まではいかないにしても、育児ノイローゼや鬱になる人も沢山います。
僕は、自分は絶対に虐待するような親にはならないと思っている人がいたとしても、絶対なんてありえない。と思います。
ねほりんぱほりんに出演していた方もそうでしたが、多くの加害者には加害者としての自覚はないそうです。
子どもをしつけるための手段として、手を挙げたり罵ったりしているのです。
ニュースに取り上げられるような虐待はゾッとするようなものが多いですが、虐待としつけは紙一重のようにも感じますね。
「自分は違う」と言い切る人ほど危ないのかもしれませんね。
虐待をする人を責めるだけで終わっていい問題じゃない。
虐待の加害者には、自分も虐待を受けた過去があったり何かしら抱えているものがあります。
もちろん虐待はいけないことですが、虐待する親も強いストレスに晒されているケースが多いのです。
仕事が忙しく、父親のサポートが得られない。
祖父母もまだ仕事をしていてサポートを得られない。
共働きで時間に追われている。
こんな家庭はざらにあることでしょう。
うちも祖父母が近くに住んでいないので、大変な思いをしています。
精神的な余裕の無さが虐待に繋がるというのは大いに有り得ることだと思います。
もっと育児に専念できる環境が必要だと思うし、それを周囲がサポート(疲弊した時には休んだり)できる環境も必要です。
それができない現代社会にも大きな問題があると思います。
僕は子供に自分みたいに育って欲しくない、という思いもあって、子供たちに精一杯の愛情を注いで、自己肯定感が育まれるように心がけています。
しょっちゅう、「大好きだよ」ってギュッと抱きしめています。☚そのうちウザいと思われる可能性大 笑
ただ、以前はそこに力が入り過ぎてパンクしそうになって、逆に子どもを怒ってしまうことも多かったような気がします。
なので今では少し肩の力を抜いて、頑張り過ぎないように子供たちと関わっています。
肩の力を抜くくらいが、子どもにとっても、親側にとってもちょうど良いのかもしれません。
Yukiでした。