飲み会が苦手な人向け、飲み会を乗り切るための心掛け
はい、私のことです。
Yuki(ユウキ)です。
飲み会の予定が決まった日から憂鬱が始まり、
その日が近づくにつれて公開処刑の時が近づいてくる様な心境で日々を送り、
いざ始まっても、早く帰りたいな(終わらないかな)という思いが巡ります。
イメージイラストのように、飲み会の席で、どんよりした雰囲気出してる訳ではないですよ。
流石にそれは悪いので、一応、楽しんでるふりをしてます。
が、時々バレてしまって、「冷めてるでしょ?」とか「帰りたいでしょ?」なんて言われたりして、グサリと心に矢を突き刺されちゃうこともあります。
全く気が抜けません。油断すると本心が顔に出ちゃいます。笑
目次
どうして僕は飲み会が苦手(嫌い)なのか理由を考えてみました。
そもそもお酒が好きじゃない
一つ目から終わってますね。笑 お酒を飲む会に参加してるのにお酒が嫌いって。笑
お酒が好きだったら、まだ救われるんですけどね。苦笑
出費が痛い
好きでもないお酒を飲んで、場も楽しめなくて、一回で4千~5千くらい飛びますよね。
二次会まで参加するとさらに、、、
タバコが臭い
これは少数意見だと思いますが、特に服にタバコの臭いがつくのが嫌です。いつの日か飲み会でも分煙(喫煙所のみでの喫煙)がされる時がくれば、と思ってます。
飲み会の雰囲気が苦手
まぁ、これが一番ですね。
僕もそうですが内向的(内向型)の人はまず苦手かと思います。(内向型外向型人間については後の記事に書こうと思っています)
詳しく話していくと、まず刺激が強いです。飲み会やパーティ等は大人数で場も騒がしく、とにかく刺激が強いです。内向型の人間はこの刺激にやられて疲弊してしまいます。
また、本来の自分から自分を変えて過ごさなければならないので、余計に疲れます。
楽しさを装っていても、時間が経って疲れてくると帰りたいのがバレてしまうあなたは間違いなく内向型です。笑
そして僕は普段から口数は少ない方だし、冗談なんかも得意じゃないし、お酒を飲んでも殆どそれは変わりません。なので酔ってテンションの上がった人のノリについていくことが難しいです。
それにただでさえ、普段から雑談が苦手だし、対複数の会話が不得手なのに(これらも内向型人間の特徴ですね。)、飲み会ではほぼ雑談&さらに多人数ときますから、ハードルがとても高い感じですね。
席がその場で決まる
これめちゃめちゃ重要ですよね?
自分の好きな、話しやすい人が近くに居てくれたら、そこまで苦痛ではなくなるんですが、周囲を苦手なタイプの人に囲まれた席だったらそれは生き地獄以外の何物でもない。まさに公開処刑です。
そして、「良かったー。○○さん○○くんが近くだから、乗り切れるわー」と思っていても、席の移動という訳の分からない天変地異の出来事が起きて、席が変わってしまう可能性が有ります。安全基地が壊されて、首を獲りに来られた城主の気分です。
以上、これらが僕の飲み会が苦手(嫌い)な理由でした。
内向的な性格だけど、こういう時はスイッチを入れ替えて場を乗り切られるっていう方は問題ないですが、僕みたいにそんな器用じゃない方の為にどういう風にしたら、もっと楽に乗り切られるか、僕なりの考えを書きます。
内向的な人向け、飲み会を乗り切るための心がけ
まず、
飲み会にそもそも行かない。もしくは、忘年会等の大きな会のみ参加するとか回数を減らす。
ある程度リスクを伴う選択です。あいつは社交性が無い、ノリが悪い、社会人として~、など悪く言われてしまう可能性があります。
ただ、個人的にはそんなのは言わせておいたら良いと思います。社会の風潮に苦しみ続けるよりも、嫌われてでも自分らしく生きる道を選ぶあなたの選択を僕は支持しますよ!
それにそんなことで悪く言うような人達は、きっと参加しても「一緒に飲んでも面白くない」などと言って、結局悪く言ってると思います。
そして2次会には参加しないようにしましょう。疲れてボロが出る前に帰った方がいいです。笑 それに2次会からは本当に飲むのが好きな人たちが残りがちなので、断れずに参加すると逆に迷惑がられてしまう危険性があります。
また、上で重要と書きましたが、
自分にとって良い席をキープする。というのが得策です。
店に入るタイミングから自分の好きな話やすい人と一緒になり、その人と隣になれるようにしましょう。
また、自分と同じタイプの人と近くにポジショニングし、安心感を得るのも良いでしょう。
そういった人が席移動してしまったら、その人について行くのもアレなので、タイミングを見計らって、別の好きな人が居る席に移動しましょう。
極力お酒を飲みたくない。という方は、
敢えて飲み会へ車に乗って行って、飲まなくてもいい理由をつくる。
のも手でしょう。
そんなところでしょうか。
ここまで散々飲み会が苦手(嫌い)と書いといてアレですが、実は僕は全ての飲み会が嫌いな訳ではありません。
お酒も条件によっては楽しめます。
仲の良い友達数人との飲み会なんかは全然楽しめます。(まぁ個人的には、お酒無しで、ただの食事会でも良いんですが。)
要するに、それ以外の飲み会(特に会社の飲み会)が苦手なんです。
いわゆるパリピー(パーティ好きな人)とは、対極に位置する人達。
沢山いるはずなんですが、世の中全体で見ると少数派です。
外向的な人間主流の社会から迫害を受けて、生きづらさを感じていることかと思います。
今回の記事がそんな人達の役に立ってくれたら幸いです。
Yukiでした。
差別やいじめが無くならない理由
Yuki(ユウキ)です。
今回は、前回記事に関連したテーマです。
yuki-changetheworld.hatenablog.jp
目次
このいじめに加担していた教師たちは生徒や保護者から信頼されていたそうです。
生徒や保護者に対しては”良い教師”を演じ、裏ではとても酷いことをしている、、、
想像しただけで恐ろしいです。
これはこの教師たちが、バレなければ悪いことをしても良い、他の人の評価を保ち地位を保っていれば悪いことをしても良い、ということを今まで生きてきた過程で学んできているのだと思います。
また、いじめを過去に行ったことのある人が、時が経って、それを忘れ(意図的に記憶の奥底へ仕舞い込んでいる)、楽しく暮らしていく。といったことも、往々にして有ることかと思います。
僕も、いじめを見過ごしてきた人間として罪深いものがあるかと思います。
ただ、忘れてはいません。
いじめられた側は、心の傷が深く残り、一生苦しんでしまう人も沢山いるでしょう。
忘れてはいけません。
あまりにも残酷な話です。
しかし、残念ながら現代社会に生きる人達は、僕も含めてほぼ全ての人が、何らかの差別的な意識を持っていると、僕は考えています。
どうして差別(いじめ)は無くならないのでしょうか?
能力の劣る人や、言動がちょっと変わっている人、見た目から差別される人もいます。これらの人に対して影でこそこそ陰口を言うことも差別にあたるでしょう。
ただこれらの差別は、競争社会においてごくごく自然に起こることだと僕は考えています。
どうして差別(いじめ)を行ってしまうのでしょうか?
差別(いじめ)を行う人の背景には、その人が今まで生きてきた中で、何かできないことが駄目なことだと親から教えられたり、いけないことをしたら罰を与えられたりもしているはずです。
大人達の描く良質の人間像を教え込まれ、その正反対に位置するような、例えば(あえて聞こえの悪い言い方をしますが)、暗い、気弱、頭が悪い、見た目が悪い、コミュニケーション能力が低いなど、こういった人間はまるで駄目な人間のように、つまり差別的な意識を刷り込まれていると僕は考えています。
そしてこれは競争社会において勝者となるために、大人達が子供達へと押しつける人間像でもあります。
差別の意識とは、紛れもなく大人たちから学ぶものなのです。
そして、その子供たちが大人になって、またその子供へと、、、
差別の意識は受け継がれていきます。
差別(いじめ)が起こる一例ですが、結果が求められる会社などでは、能力の低い人は邪魔な存在になってしまうでしょう。
自分(自分たち)の目的を達成する(競争に勝つ)のに邪魔な存在に対して、敵意が向いてしまうことが考えられます。
今回ニュースになっているような過激ないじめや、そこまではいかないにしても、影でこそこそ陰口を言うような小さな差別も含めると、世界の至るところで差別は存在するし、むしろ全く差別をしない人なんて極めて稀だと思います。
これは、現代社会に生きる誰しもが、いじめっ子になる要素があるということです。
あなたにはないですか(いじめっ子になる要素が)?
僕には有ります。
例えば僕の場合、子育てでイライラして、子供に対して理不尽な怒り方をしてしまうことがあります。こんなことすべきじゃないと心のどこかで思っていても、イライラでブレーキがかかりません。
これって、例え親子関係とはいっても、いじめと似ています。
僕は親子関係も対等であるべきだと考えています。実際にできているかは別として(苦笑)。
やっぱり親子といえども良くないことですよね。だから、時間が経ったら「ごめんね。」って謝るようにしています。
余談でした。
そういうことで、残念ながら世界が変わらない限りは差別は無くならないでしょう。
ニュースのいじめに加担した教師達に対して、人間の屑などと言って罵倒しても、職をクビにしても、いじめは絶対に無くなりません。
さかなクンの水槽の話と同じです。必ず他のいじめっ子が現れます。
差別(いじめ)を無くすには、世界の仕組みが変わらなければなりません(競争からの脱却)。
世界の仕組みを変えるには、全体の意識が変わらなければなりません。
全体の意識を変えるには、教育が変わらなければなりません。
教育を変えるには、まず1人から、意識を変えていかなければなりません。
そこからスタートしたい。そんな記事でした。
洗脳チックになってしまいました。すみません。
宗教ではありません。自分の考えを人に強要することは絶対にありません。
1人でも意識が変わって、差別(いじめ)が減ることに役に立てれば良いなと思っています。
Yukiでした。
いじめに苦しむあなたへ。いじめから逃れて広い世界へ出よう
Yuki(ユウキ) です。
今話題になってる、教師が教師をいじめるというニュース。
見ててとても嫌な、残念な気持ちになります。
本来、教師はいじめをなくすために働きかける側の人間のはずです。
その教師がいじめを楽しそうにやっている、、、おぞましい映像ですね。
幸いなことに、僕は明らかないじめに遭ったことはないのですが、今現在も、いじめや差別に苦しむ人が世の中には沢山いると思います。
壮絶ないじめに遭い地獄のような苦しみを味わっている人もいるでしょう。
自分の親や教師に相談すこともできず苦しむ人もいれば、勇気を振り絞って相談したとしても、「あなたにも原因があるんじゃない?」なんて言われてしまうケースもあると聞きます。
これは、いじめられる人が他の人と比べて変わった人である(例えば内向的である)、だからいじめられる。という原因→結果の関係があるという意味では間違ってはないかと思います(決していじめられる側が悪いと言っている訳ではありません)。
残念ながらそういった人を差別をする人間は沢山います。
だけど、例えば、あるクラスの子供が本を読むのが好きで、休み時間などクラスのみんなと一緒に遊ばず本ばかり読んでいたとします(僕はそういうタイプではありませんでした)。
それの何が悪いんですか?
クラスのみんなとなじめない、クラスの輪を乱してしまうからいじめられて当然ですか?
僕はそうは思いません。
きっとそれはその子が内向的な性格の持ち主で、生まれ持った気質なのでしょう。個性なのです。
他にも、ぶりっ子みたいだ、ブサイクだ、喋り方が変だ、オタクみたいだ、など様々な理由でいじめられている人たちがいることかと思います。
「あなたにも原因があるんじゃない?」
相当な勇気を振り絞って相談をしてきた相手に対して、崖から突き落とすような言葉がけをする人がいる、、、
ましてや本来いじめから子供達を救うべきはずの教師が、そして最後の砦のはずの親がそんなこと言ってしまったら、、、
その人はもう救われません。
あなたは何も悪くありません。
たとえ原因があなたに有るにしても、それはあなたが悪いのでは無く、いじめる側の差別する心、その心を刷り込んできた社会・教育に問題があるだけです。
逃げてください。
あなたが悪くもないのに逃げなきゃならなくなるのは、おかしな話なんですが、一人で多数を相手にするのは無理があります。
世の中に差別は至る所にありますが、そうじゃない場所もあります。次の場所でもまたそういう目に遭ってしまったとしても、また逃げれば良いだけの話です。
まだ子供で引っ越すこともできない。親に相談しても転校させてもらえない。なんていう人は自分を守る為に引きこもるというのも一つの手です。もしくは味方になって動いてくれる人を探してください。見つかるまで探してください。いじめの相談ダイヤルというのも有ります。
逃げちゃ駄目、逃げ癖がつく。なんて言う人の話は無視して下さい。
”死”という最悪の結果を招くよりは、よほどマシです。
あなたが根を張って生きていける場所はきっと見つかるはずです。
小さな世界に留まらないでください。
いじめというのは小さな枠組み(集団)の中で起こります。
テレビタレントのさかなクンの書いた詩が、すごく面白かったので紹介します。
最初は仲良く泳いでいたけど、しばらく経つとメジナの一匹に対するいじめが始まりました。可哀想でいじめられっ子を別の水槽に出してあげると、今度は別の一匹が攻撃されるそうです。次はいじめっ子を別の水槽に移してみても、今度は別のいじめっ子が現れてしまったそうです。
狭い水槽の中では、逃げたくても逃げられない。いじめるほうもきっと、せまい水槽でストレスがたまっているのでしょう。
広い海に出てみよう。
広い海ではそれぞれの世界で生活できて、長い間いじめたりいじめられることもないと思います。今は世界は小さくても、もっと大きな別の世界がある。
という、さかなクンのメッセージが綴られています。
これって、人間界にも共通していることですよね。
繰り返し言いますが、いじめは小さな枠の中で起こります。その中で生じている歪みから起きているものです。
あなたは、小さな枠の中から抜け出すことを選択できるはずです。
勇気を持って、小さな世界から飛び出してみましょう。
Yukiでした。
のんびり、気ままに、いきましょう。
Yuki(ユウキ)です。
今日はこのブログを続けていくに当たって報告しておきたいことがあります。
目次
ブログを始めたきっかけ
僕がこのブログを始めようと思ったのは、僕自身、人間関係から精神的に病んだ経験があり(また後に記事で書こうと考えています。)、そんな経験を発信することで救われる人がいて、ひょっとしたら役に立てるのではないか?と考えたことがきっかけです。
それに加えて、ブログのことを勉強していくと、ブログで収益も得られるということが分かりました。
多くのブロガーがそうしているように、僕も収益を得たいと思っています。
純粋に人の役に立ちたいという目的のみじゃなくてすみません。
ただあくまでも、自分の経験を生かして、世の中の人の役に立つためのブログを書きながら、できれば収益も得たいという考え方です。
そもそも、このブログのジャンル的にそんなに収益は得られないと思います。
万が一、収益を多く得られるようになったら、個人的な小さな夢を達成したいです。
小さな夢の話
その夢とは、やりたい仕事に就くということです。
すればいいじゃんって思うかもしれませんが、その仕事に就くと収入がガクッと下がります。
家族を養い、ローンを払っていく身でその選択をすることは、どうしてもできません。
その仕事とは、引きこもりになっている人の就労支援をする仕事に転職することです。
これはまさに、このブログでやっていくような、世の中の勇気を挫かれた人達を、励まし、勇気を与えて、社会復帰できるようにサポートするという、僕のやりたいこととガッチリ合致します。
さらに、そこは少人数の職場で、大きな組織で働くよりも僕にはそちらの方が向いてます。
でもまぁ、そんな頻繁にブログの更新もできないし、そんなの夢のまた夢の話なんですが、何も言わずにしれっと収益をとっていくことに抵抗があったので、ここで報告をしておきます。
まだ僕もよく分かっていないのですが、いわゆるアフィリエイトっていう広告がクリックされると報酬が入るもの(現時点で貼られている広告は僕が貼ったものでは無く、僕に報酬は入りません。)や、商品を紹介してそこから購入されると報酬が入るといったものでしょうか。
広告等が気に入らないという方は、スルーしてください。記事だけ読んでいただくだけでも十分嬉しいです。
全ての人が幸せになるには?
それと話は変わりますが、「どうしたら幸せになれるのか?」が、僕にとって子供時代から今に至るまで、そしてこれからもですが、つまり永遠のテーマと言えます。
そんなことを考えていく中で、世の中には楽しく暮らしている人もいれば、不幸な人も沢山いる。
どうしてそんなに差が出てしまうのか、全ての人が幸せに暮らせるような世界は創れないのか?
そんなこともひたすら考えています。
そして僕なり行き着いた、幸せな世界にするにはこうしていけばいいんじゃないかな、ということを後々に発信していければなとも思っています。
Yukiでした。
ねほりんぱほりん今年もスタートですよ!
Yuki(ユウキ)です。
今日はテーマと違うことを書きます。
僕の大好きな番組のお話しです。
それはNHKの「ねほりんぱほりん」という番組で、今年もシーズン4がスタートするそうです。
僕だけじゃなくて、芸能界にもファンを公言する人が多数いる人気番組です。その人気ゆえに、シーズン4まで続いてるんですね🎵
勝手ながらに、
「ねほりんぱほりん」の魅力について紹介させてください。
どんな番組か簡単にいうと、世の中の一風変わった人、変わった経験を持つ人達に、南海キャンディースの山ちゃんと、女優のyouさんが根掘り葉掘り聞いちゃう番組です。
顔出しNGのゲストがブタの人形に扮して、それに合わせて山ちゃんとyouさんがモグラの人形に扮して、話が進んでいくんですが、そのやり取りが何とも滑稽で、重めの話も愛らしく聞こえちゃいます。
具体的にどんな人達に話を聞くのかというと、少年院に入ったことのある人だったり、元ヤクザだったり、買い物依存症の人、宝くじ一等当てた人、、、などなど他にも興味をそそる回がいっぱいです!
僕の中での神回は、、、 ☚誰も聞いてない
ズバリ「養子」です!!
山ちゃんの神回チョイスと一緒ですが、ケイタくんの育ての母親へ宛てた手紙を読むシーンは、何回も見て、何回も泣いてます 笑
僕は、昔から色んな自己啓発本を読んだり、自分の内面と向き合ってきましたが、おそらくそれは人間の心理というのが好きだったんだと思います。
この「ねほりんぱほりん」では、世の中の一風変わった人達が、なぜそうなるに至ったか、その人の歴史が見えてきて人間理解に繋がります。
また、自分の知らない世界を知ることができて、へぇー😮!!という驚きと発見に満ちていて、初めて見た時からのめり込んでしまいました。
僕がこの「ねほりんぱほりん」に出会ったのがシーズン2の年越しスペシャルからなので、見逃した回も、、、(涙)
漏れ無く全て見たいと思うほど好きなんです。
僕の妻に勧めてみたら、妻もはまっちゃって毎週楽しみにしています。でも、僕の母親にも勧めてみましたが、母は微妙な反応でしたでした。やっぱり好みは人それぞれですね。
自分の内面と向き合うことの多い内向型の人や、心理学が好き、人間観察が好き、といった人には、はまるんじゃないかと思います❗
是非一度、見てみてください🎵
Yukiでした。
公式ホームページのリンク張っときます。
Q.あなたのブログはスマホからも見れますか? A.見れるならA8.netをはじめよう♪(無料)
友達が少ないと悩むあなたへ
Yuki(ユウキ)です。
アクセスこないですね~。無人島状態です 笑
まぁ最初はこんなもんだろうと地道にやっていきます♪
目次
* 他人から嫌われる
写真の花はセキチク(石竹)という花で、「あなたのことが嫌いです」という花言葉があるそうです。
そんな恐ろしい花言葉があるんですね 笑
他人から嫌われることの多いYuki。でもすべての他人から嫌われるという訳でもありません。
友人は少ない方ですがいますし、親友と呼べる人も数人はいます。でも殆どは小・中・高時代の友人ばかり。
大人になってからは遊びに行ったり、ご飯を食べに行ったりしても大人の付き合いという感じ こういう付き合いもそもそも少ないですが で、腹を割って話せる落ち着ける存在の様な友人は出来なくなりました。
これは、前回記事でも話しましたが、
yuki-changetheworld.hatenablog.jp
僕の場合、自分が傷つきたくないためにとる人と接する時の、自分にとっての安全な距離が、相手にとって遠い。ということが言えると思います。
相手からは心を開いていない、嫌われていると感じられてしまうことも少ないくないでしょう。
特に僕は気を付けてないと、とりわけ苦手なタイプに対して、素っ気無い態度をとってしまうことが多々あるので危険ですね。きっと傷つきたくないから無意識的に発生させる心のバリアなのでしょう。
* あなたのことを好きな人、嫌いな人、どちらでも無い人
話を戻しますが、こんな僕でも好いてくれる人もいます。
自分で言うのも何ですが僕の長所を上げると、真面目・誠実・優しい、努力家(☚到底疑わしい)なんかが、他人から言われることもあることでしょうか。時には好意を直接伝えてくれる人もいます(人間的にという意味ですよ)。
巷では自分に対して好意を抱いている人2割、どちらでもない人6割、嫌っている人2割という2-6-2説も存在する様です。
これに関して、他人から嫌わていると感じることが多いYukiの場合、好意を抱いている人2割、どちらでもない人3割~4割、嫌っている人4割~5割、くらいかなと感じております。あくまでも僕がそう感じているだけです。被害妄想という場合も有り得るでしょう。
上記に書いたように自分にも原因はあるでしょうし、僕が口下手・口数が少ないということもあり勘違いされやすいこともあるかと思います。
ただ考えようによっては、自分のことを好きでいてくれている人が2割もいたら十分じゃないでしょうか?
友人が少ないと悩んでいる人も多いと思いますが、友達の数で人の価値が決まる訳ではありません。全ての人は等価値のはずです。(現代社会ではこれは建前的で、実際は他者への評価は不等(等しくない)価値ですね)。少なくとも僕はそう思います(等価値であるべき)。
もちろん人から嫌われたり、悪口を言われたりするのは傷つきますし、嫌われたくないという気持ちは痛い程分かります。
ただ結局行き着く結論は、自分のことを嫌う人がいてもいいじゃないか(他人から嫌われてしまう自分を受け入れる)。ということです。
あなた(自分)は他人から嫌われない為に生きている訳でも、好かれる為に生きている訳でもありません。
そんな風に他人の顔色を伺いながら生きても幸せなはずがありません。
あなは決して一人じゃない?
❝あなたは決して一人じゃない❞という言葉を耳にしたり、目にしたりすることがしばしばありますが、いやいや、自分は友達なんて1人もいないし、家族からも見放されてますよ。っていう人もいるのではないでしょうか。
僕も子供が生まれてからは、家族・子供達との時間を大切にするために、社会的な付き合いをほぼしていません。
これを社会性が無いだとか、社会人として~、とか思ったり言ったりする人は少なからずいるでしょう。
でも僕は、そんな社会の風潮だとかよりも、まだ小さな子供達との貴重な時間の方が大切だと考えています。
僕とは理由は違えど、ちゃんとした理由があるのならば、胸を張って良いと思います。
嫌われてしまう自分も受け入れる
究極的に言えば、友達も1人もいないし、家族も味方じゃない。っていう人も、そんな自分を受け入れて前向きに生きていけていのるなら良いんじゃないかと、個人的には思います。(他者に危害を加えるような危険な思想をもっている人は別ですが)
しかし、味方がいないという方は、落ち込んだ時・心が折れそうになった時等に、自分で何とかできれば良いのですが、そうできない時に困ってしまいます。精神的な病に陥ってしまうこともあるでしょう。
あるいは、他者への復讐心といった危険な方向に向かってしまうことも可能性としてはあります。
ここがそんな人にとっても、心のオアシスとなってくれたら嬉しいです。
Yukiでした。
人間関係が苦手なあなたへ、自分を受け入れるためのヒント
Yuki (ユウキ)です。
今回は、僕の子供時代のことを話します。
目次
* 自分に自信がない子供時代
僕は小さな頃から引っ込み思案で、特に集団において縮こまってしまう傾向が顕著でした。
これは元々の気質が内向的であったというのと、自分に自信がない(自己肯定感が十分に育まれていなかった)ことが関係していたと思います。
そんな僕に対し母親は、もっと自分の意見をちゃんと言いなさいとか、もっと話さないとダメとか言って、消極性を矯正しようと関わっていたのを覚えています。
それが裏目に出たと言うと母を責めている様で嫌ですが、思春期には劣等感の塊の様な人間が出来上がっていました。
僕の母は努力家で、仕事もしながら家のこともしっかりやる、子供ことを最優先に考える素晴らしい親だったと今でも思いますし、尊敬もしています。
しかし、当時の僕はそんな母親に自分の人間性を受け入れてもらえていないと心のどこかで感じていたと思います。
とにかく自分に自信がなかったですし、明るく、コミュニケーション能力の高い、自己主張のはっきりできる人をみると強烈に劣等感を抱いていました。そんな僕が仲良くなるのは自分と似た消極的・内向的なタイプが多かったです。
* 子供時代を引きずる自分とそれを乗り越えようとする自分
それでも、今の自分を作り上げたのは紛れもなく自分自身。これはアドラー心理学的な考え方ですが、どんな境遇にあったにせよ、今の自分を作っているのは他の誰でもない自分自身です。
幸い僕はいじめ等にはあわなかったのですが、酷いいじめにあったり僕よりもずっと辛い思いをして、壮絶な人生を歩んできた人達の中でも、しっかりアイデンティティを保って前向きに生きている人は結構いるかと思います。
が、そうは言ってもですよ、分かってはいるけど、中々性格って変えられないんですよね。
僕も色々な本を読んだりして、学んだことを実践したりして、自分を変えようと努力しました。
少しは変われたと思うし、一時的には自己を受容して生活できていたこともあったでしょう。
でもどこか、過去を引きずっていることに気付いたり、人付き合いに必要な能力が不足していることを痛感することがあったりして、人間関係に行き詰まってしまうことが、しばしばありました。
やはり長年染み付いた思考や性格は滲み出てきてしまうものなのでしょうね。思考回路における癖の様なものです。
何度も何度も同じ壁にぶつかる度に、変われない駄目な自分を責めて、落ち込んでしまいます。
** ヤマアラシのジレンマという言葉を知っていますか?
心理学で使われたりする言葉で、アニメのエヴァンゲリオンでも使われるシーンがありました。
❝寒い日を過ごしていた2匹のヤマアラシが、お互いに身を寄せ合って温め合おうとしたけれど、近づきすぎると全身の針が相手に刺さって傷つけてしまう。かといって、離れると今度は凍えてしまう❞
人間関係の難しさを表すのに使われたりします。
因みに僕のこのブログのアイコンにもヤマアラシを使用しています。
この話には続きがあって、
❝2匹は近づいたり離れたりを繰り返して、お互い傷つけ合わずに済む最適な距離をみつけた。❞
そして人間関係も同様、傷つきながらも最適な距離をみつけていくもの。という様に言われたりしています。
しかし、人間関係の不器用な人はこの作業がとても不得意です。
あるいは心が繊細で、相手にとっての最適な距離が自分を傷つけられる距離であり、傷つきたくないからとる自分にとっての安全な距離が相手にとっては遠い距離であったりします。その逆のパターンもあり得るでしょう(自分のとる距離が近すぎる)。
様々な理由で人間関係に悩みを抱える人達は、世の中に沢山いるんじゃないでしょうか。
中には人に相談もできず悩みを抱え込んでしまっている人もいることでしょう。
僕もその類の人間なので、このブログではそういった人達(仲間)にホッとしてもらったり、勇気を与えていけたらと思っています。
Yukiでした。