心の晴れない日々を過ごす自分(あなた)へ
目次
YUki(ユウキ)です。
心の晴れない日々
最近、精神的にやや落ちてしまっています。
こういった時は、ブログもあまり文章が浮かばなくて、スランプに陥ります。
夜は眠剤無しでもしっかりと眠れるので、そこまで酷くは無いのですが。
薬を飲めば、精神的に上がってきますが、いつもいつも薬に頼るわけにはいきません。
先月は調子が良くて、安定剤は2回しか飲みませんでした。
でも、先月末から精神的に落ちてきています。
僕が診療内科を受診したのは今年の8月です。
現在も月に1回程度受診しています。
まだ診断名は聞いてませんが、おそらく”社会不安障害”かなんかと思います。
前回、診断名を聞こうと思ったのですが、忘れていました。
5年程前にも数回、10年程前にも一回心療内科を受診しています。
昔から人間関係が苦手で、悩みを抱えることが多かったです。
僕が書いているブログは、そんな自分の経験を活かして、同じような悩みを抱える人達を励ましたり、勇気付けたりすることができたらという思いを込めています。
それと同時に、自分へ宛てた手紙でもあると感じています。
人間関係が苦手で、もがき苦しむ自分に。
いわばセルフカウンセリングとで言いましょうか。
僕が不安に陥る理由
僕は人との会話が得意ではありません。
口下手であり、つまり他人とのコミュニケーションが不得意です。
それも一つの個性でしょう。
そう言い聞かせて、自分を受け入れて、生きてこられた時期もありました。
しかし、去年あたりから、職場に苦手なタイプの人が増えて、人間関係に不安を抱えることが多くなったのか、それまで築いた自己受容の基礎が崩れてしまいました。
不安が強くなると、それまで苦手意識の無かった人とのコミュニケーションも、自分のことを嫌っているのではないか?とか余計なところに感情が向いてしまい、よりコミュニケーションが上手くいかなくなるといった悪循環に陥ります。
コミュニケーションが上手くいかないと、そこに自分の居場所がないかのように感じてしまいます。
そこに居てはいけないかの様に。
これって、人間関係が苦手な人あるあるじゃないでしょうか?
きっと僕だけじゃないはずです。
人間関係が苦手→他人とのコミュニケーションが上手くいってないと感じる。或いは嫌われていると感じる。→孤独感・孤立感を感じる(居場所がないと感じる)
という流れです。
僕が不安を感じる理由は主にこれだと思います。
そして、自分がそこに居なくてもいい理由を作るために、「こんな人達と一緒に居る必要はない」とそこに居る人達のことを嫌いになって、自分がその人達と距離を置くことを頭の中で正当化し始めることもあります。
人は居場所を求め彷徨い歩いている
人は居場所を求めて彷徨い歩いています。
自らが必要とされる場所、重要だと感じられる場所を求めて。
人間関係が苦手でそれを避ける人も、何らかのつながりを求めています。
避けるのはただ傷つきたくないだけ。
人間関係が苦手じゃない人も、居場所をつくるのが得意なだけで、居場所を求めているのは変わらないんじゃないでしょうか?
現代を生きる誰しもがそうなのかもしれませんね。
何だか、まとまりのない記事になってしまい、すいません。笑
Yukiでした。
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精神科(心療内科)受診のススメ。ばれるかばれないか気にしてる方へ ②
Yuki(ユウキ)です。
前回の続きの記事です。
yuki-changetheworld.hatenablog.jp
思ったより、デメリットが多かったんじゃないでしょうか?
こういったデメリットがあるがゆえに、安易に受診などすべきではないという人もいます。
それは間違いではないと思います。
前回記事に書いたようなデメリットがあるのは事実であり、自分にもそれが降りかかってくる可能性は否定できないからです。
目次
それでも僕が精神科(心療内科)受診を勧める理由。
しかし、それでも僕は症状がある場合は早めの受診を勧めます。
何度も言いますが、今さらされているストレスが自分の耐えうる限界を超えてしまった状態だからです。
放置すると悪化する危険性が高いです。より重症・長期化し、社会復帰も困難になってしまう可能性も十分に考えられることです。
例えば近い将来、家を建てる可能性があるからといって、自分でなんとかしようと受診を避けていたとしましょう。その結果、病状が悪化して働くことができなくなってしまったら、家を建てるどころじゃなくなってしまいますよね?
医療保険に関しても、使うかも分からない保険の為に、病状を悪化させてしまうというのも馬鹿馬鹿しい話です。
手っ取り早く保険に入って、受診するというのも手です。
知人に知られてしまう可能性ついても、病気が悪化して仕事や学校を休むことになればどの道知られることです。例え、知り合いに知られて職場や学校を変えることになったとしても、社会生活が続けられる方が良いと思います。
医師や薬が自分に合わないという話は難しい問題です。
心の病を乗り越えるには信頼できるパートナーが必要ですので、そういった医師やカウンセラーなどを探してみましょう。
薬は副作用や依存性があったりするので、気軽には飲むべきではないと思います。
眠剤は自分に合う薬になかなか巡り合えなかったし、抗不安薬は効果はありましたが、今までに使ったことがなかったこともあり、最初の方は薬の作用の反動(反跳性症状)に苦しみました。いわゆる薬への依存です。僕の場合1ヵ月程で体が慣れたのか、大丈夫になりましたが、中には何年も苦しむ人もいるようです。でもこれは個人差が大きく、僕の周りの精神科系の薬を飲んだことがある人の中では、そういった副作用があったという人はいませんでした。
薬の副作用に苦しまされながらも、精神科(心療内科)受診はして良かったと考えていました。薬の力を借りないと乗り越えられない状況だったからです。例え、もっと長期間副作用が出て依存が続いていたとしても、薬と付き合いながら生きていくつもりでした。もちろん、不安はありましたが。
勇気を出して受診してみてはどうでしょうか?
薬が必要な状態かどうかは診察を受けて、医師と相談して判断すればいいと思います。
精神科(心療内科)受診の実際
少しでも不安が拭えるように、僕が体験した精神科(心療内科)受診の実際をお話をしてみます。
まずどこに受診するかですが、前回記事でも書きましたが、僕は自分の住んでいるところから少し離れたところを選びました。
職場の人に見られたりするのが嫌だったからです。
もう一つ、ネットのクチコミも参考にして、良さそなうところにしました。
クチコミは当てにならないこともありますが、何も情報が無いよりはマシだと思います。
合わなければ、別のところを受診すれば良いです。
精神科と聞くとハードルが高いと感じる方は、心療内科を選んでも良いでしょう。
因みに僕が行ったところは○○クリニックという所で、精神科や心療内科という文字は使われていませんでした。少しハードルが低い感じがしますね。
次に、電話で予約を取ります。
名前、現在の症状を聞かれました。
受診の日の実際(※受診機関によってことなります。)
駐車場に車を停めて、心療内科の中に入り、受付で○時に予約してる○○です。と、名乗ります。
保険証を渡して、初めての場合は問診票を書きます。
人気のクリニックなのか待合室は人が一杯です。僕は、もしかしたら知り合いがいないか気になるので、毎回知り合いがいないかざっと確認してしまいます。笑
待ち時間は短い時でも、40分くらい。長いときは2時間近く待ったこともあったと思います。
僕の行ってるクリニックの場合は、待ち時間の途中で、看護師さん?らしき人に呼び出されて血圧測定と、受診の経緯等の聞き取りをされます。
その後に、ようやく診察です。
診察の内容は問診(聞き取り)のみです。
良い先生だったとしても、忙しく膨大な患者数を捌いていかなければならないという現実があるので、一人にかけられる時間は限られています。
あらかじめこれは伝えておこうという内容をピックアップしておきましょう。
短い時間で先生に自分の状態を知ってもらわなければなりません。
また、聞き取りの内容から薬を決めるので、伝えるべき点はしっかり伝えないといけません。
どういった症状がいつからあるのか。その背景にあるのは何なのか(考えられる原因)。症状、感情の波はあるのか。薬を使った後なら、薬の使用感などです。
僕は薬のことも勉強して、この薬はどうか?とか、先生と相談の上処方してもらい、自分に合った形(薬の組み合わせ)を見つけました。
先生と一緒に考えて、納得の上薬を飲んだ方が、薬効にも多少良い影響があるかと思います。
診察が終わった後は、会計をして、処方箋をもらいます。
処方箋を薬局に持って行って、薬をもらって、会計をしたらおしまいです。
人々はもっと心の調子と向き合うべき
僕は、もっと世の人々が心の調子と向き合うべきと思います。
心と身体は表裏一体であり、心の不調はいずれ身体へも影響してきます。
早い段階で適切な対応ができれば、良好な経過となるのは身体の病気も心の病気も同じです。
精神的に窮地に陥っている状態が、身体的に窮地に陥っている状態と同じくらい重要に考えるべきだとも思います。
精神的な病を抱える人に対する差別的意識を持つ人が多くいるという現実は、とても残念なことです。
子供の教育課程においても、もっと精神面と向き合っていくカリキュラムを増やしていくべきです。
より多くの人が幸せになるために。
年間2万人もの自殺者を抱える日本。 1日当たりにすると55人です。
今日あなたが過ごした1日の中で、55人もの人がここ日本で自殺をしているんです。
自殺の理由は様々あるでしょうが、人間関係の悩みが多くを占めることでしょう。
どれだけの闇をこの社会は抱えているんだろうと怖くなりませんか?
同じ国に暮らす仲間が、こんなにも苦しんでいる。
そういった事実に真剣に向き合う人は少ない。
そこがそもそもの競争社会が生み出している歪みなのではないかな、、、
心を病むことなんてない「低ストレス社会」になって皆幸せに暮らせれば、それが一番ですよね。
遠い遠い未来にそんな時代が来ることを願ってます。
Yukiでした。
精神科(心療内科)受診のススメ。ばれるかばれないか気にしてる方へ ①
Yuki(ユウキ)です。
この記事に辿り着いたあなた、心を病んでいませんか?
不眠などの、何か自覚する症状があるなら要注意です。それはあなたの身体(こころ)が発しているている危険信号です。
僕は心を病んで、心療内科にかかった経験があります。
詳しくはまた別の記事で書こうと考えていますが、今回の記事では僕の体験も通した、精神科(心療内科)受診のメリット・デメリットを書こうと思います。
目次
病んでいる状態を放置しておくと、さらに進行する危険性あり。
寝たらスッキリする、食欲もあるし、夜も眠れる。
心のモヤモヤ以外は不調はない、といった程度の軽いものは、誰にでもあることだし、病院へ受診する程ではないことが多いでしょう。
ただ、夜眠れなくなった、ご飯が何日も食べれていない、等の症状が出てきた場合は、早めの受診をお勧めします。
こういった状態は、自分の許容範囲を超えたストレスがかかってきて、それに耐えられなくなった状態と言えます。ここまで来ると、自分の力だけで何とかすることは難しいです。繰り返しになりますが、自分の許容範囲を超えてしまった状態だからです。
これをこのまま放置しておくと、病状が進んでしまい、うつ病、統合失調症などの精神疾患へ進行してしまう、あるいは、胃がん等のストレスを起因とした身体疾患に進むことも考えられます。
自覚症状が出てきた場合、胃の痛みなら痛みによって、不眠なら寝不足によって、さらに身体的・精神的に悪影響を及ぼしてしまうので、病状が進行してしまう危険性が高い状態と言えるでしょう。
要するに、受診が必要な状態ということです。
ただ受診することによるデメリットが存在することも確かです。
精神科(心療内科)受診のデメリット
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保険に入れなくなる。
僕の実体験に基づく話をします。ある時、そこまで病んではなかったんですが、人間関係に悩みを抱えていて、ちょっとした助けを求めて受診したことがありました。先生に相談に乗ってもらったのと、簡単なテストを受けたくらいです。薬は処方してもらっていません。2、3回受診した程度でした。
この1,2年後に医療保険に入ろうと保険屋に行ったんですが、加入できませんでした。確か、がん保険なんかは大丈夫だと言われたんですが、医療保険はダメでした。ただ、今となっては医療保険には入るべきじゃないと考えが変わったので、結果的に良かったと思っています。
精神疾患は重度になると長期入院、また入退院を繰り返すケースが多いので、保険会社もリスクを避けるという意味で敬遠してきます。
入れる医療保険もありますが、割高になります。
大体の保険会社は過去5年間の病歴・受診歴等を聞いてきますから、後々に保険に入ろうと考えている人は頭に置いておく必要があります。
-
住宅ローンを組みにくくなる。
住宅ローンを組む人で団体信用生命保険(いわゆる団信)に入る方は多いと思います。住宅ローン返済途中で主たる返済者が死亡してしまった場合(あるいは病気等で返済不可になってしまった)の保険です。
この団信に加入しないと組ませてもらえない住宅ローンは多いのです。
住宅ローンは長期間をかけて返済していくものなので、返済者が健康に働き続けることができないと返済が不可となってしまいます。
そうなってしまうリスクのある、つまり健康ではない人は残念ながら避けられてしまいますので、近い将来家を建てる(あるいは購入)ことを考えている場合は、注意が必要です。
フラット35は団信の加入が任意であり、加入可能ですが、無保険というのはリスクがありますのでお勧めしません。
加入条件を緩和したワイド団信などもありますので、相談してみると良いと思います。
上記の、医療保険もそうですが団信も告知義務は過去5年ですので、最後の受診から5年が経過していればOKですので、それまで待つというのも手だと思います。
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知り合い・家族に知られる(ばれる)可能性がある。
残念ながら精神的な病気に差別的な意識を持っている人も多いのが現実です。できるだけ他人に知られたくないと思うのも仕方のないことでしょう。
健康保険を利用しても、職場にばれることはありませんが、ちょうど受診している所を知り合いにに見られてしまうと、ばれてしまいます。僕はそれが嫌で、自分の住んでいるところから少し離れた心療内科に通うようにしています(今では症状は殆ど無いのですが、時々通っています)。
まだ未成年の場合、親に知られたくないという方もいるでしょう。これも僕の実体験ですが、20歳くらいの頃にも、心の悩みを抱えて心療内科を一度だけ受診したことがありました。親には相談していなかったし、受診したことを黙っていたんですが、健康保険の利用通知が郵送され、それで親に知られてしまいました。まだ親の扶養に入っているけど、親にどうしても知られたくないという方は受診ではなく、他のカウンセリングサービス等を利用した方が良いでしょう。
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医師や薬が合わない可能性がある。
医師も人間なので人間性は十人十色です。中には自分とは合わない、またあまり親身に対応してくれないような医師もいるでしょう。心の病では医師との信頼関係が、身体の病に比較してより重要になりますので、自分と合わないと感じたら、別の医師を探した方が良いと思います。また、処方された薬が合わないという場合もあります。効く効かないがありますし、精神科系の薬は依存性もあるものも多いので、もしかしたら依存性に苦しまされる可能性もあります。僕も一時的に副作用に苦しみました。
長くなったので、続きはまた次の記事へ書きます。
Yuki でした。
なぜ人々は環境問題に関心を持たないのか?
Yuki(ユウキ)です。
台風19号による被害のニュースが連日報じられていましたね。
近年は、毎年のように甚大な被害をもたらす自然災害が起きています。
それがいつ、自分の住む地域に降りかかってきてもおかしくないし、他人事ではないなと感じております。
被害に遭われた方には、心よりお見舞い申し上げます。
テレビを見ていると、台風や被害の状況、避難情報、身を守る為の対策などなど報じられています。それは当然のことだと思うし、大切なことだとも思うんですが、もう一つ目を向けるべきことがありませんか?と、僕は思うのです。
今日はそれについて話させて下さい。
目次
何故人々は、環境問題に関心を持たないのか?
それとは環境問題のことです。
近年の自然災害の威力が増している原因として、地球温暖化が影響しているという考え方が有力です。
僕は何故世の人々が、この環境問題にあまり関心を持たない(ヨーロッパでは比較的関心が高いそう)のか不思議で仕方がないのですが、その理由を簡単に分析してみました。
左に地球温暖化が及ぼす代表的な影響を書いて、右に僕が考えた関心を持たない理由を書いてます。
- 世界のどこかで海面上昇によって住む場所(故郷)を失ってしまう人達がいる。☚自分に直接関係ない。
- 気温が上昇して暑くなる。☚年々暑くなるのを実感する程では無いし、危機感を感じない。
- 異常気象により自然災害の威力が強まる。☚甚大な被害に遭ってない人は実感がわかない。実際に大きな被害に遭遇した人はどう思っているのでしょうか?分かりません。もしかすると、自然災害だから仕方ないとか、地球温暖化と結びついていない可能性もありますね。
- マラリアなどの熱帯の感染症の拡大。☚実際に自分たちの住む場所まで拡大していないし、危機感がわかない。
- 多くの種の動植物絶滅のリスク。食糧不足のリスク。☚複数種の動物が絶滅したとしても自分たちには関係ないと思っている。食糧不足のリスクも今困っていないので危機感がわかない。
といったところでしょうか。完全な予測ですが、、、
つまり、僕の勝手な推測によると、自分に直接的に関係してこない(あるいは今のところ被害がない)ので、環境問題って実感がわきにくい。それに加えて、自分ひとりが行動したところで変わらないだろうと思っているところもあるでしょう。
だから地球温暖化を防ぐために動ごうと思わない。
ということだと思います!(ザックリ)
さらに、競争社会に勝ち残るために経済を優先させなければならないという現実があるため、政治でもあまり力を注がれないし、視聴者のニーズが第一のメディアでもあまり取り上げられません。
競争社会に生きる人々にとって、環境問題は「不都合な真実」なのです。
寄生獣という映画で、”人間こそ地球をむしばむ寄生獣だ”という表現されるシーンがありましたが、それは否定できないのではないかと僕は思います。
いつか手痛いしっぺ返しが必ずきます。(すでにある程度きてますが)
そういっても、実際に痛い目に遭わないと変われないのが人間の性なのでしょうか、、、
本当に技術の発達や、経済の発展が環境問題よりも大切なんでしょうか?
もっと大きな視点を持って考えてみてください。
どうかグレタさんの声を聞いて下さい。
環境問題に関心がある人は未来人?
こんなこと言うと自分をヨイショしているみたいで嫌ですが、環境問題に関心が持てる人というのは、より未来的な人だと僕は思っています。
その理由は、
- 自分の住む場所(地球)に感謝し、それを守ろうとすることができる人。
- 例えば、地球のどこかで住む場所を失ってしまう人など、自分とは全く関係のない遠い存在の人ことまで考えることができる人。
- 短期的でなく、長期的に(何十年、何百年も先)物事を見据え、自分の子孫たちのための生活環境のことまで考えることができる人。
- 人類だけでもなく、他の生態系への配慮もすることができる人。
- 自分ひとりが行動しても殆んど変わらないことは事実だが、そんな小さな力が集まると大きな力となっていくことを理解し、行動できる人。
だからです。
つまり、自分本位ではなく、とてつもなく広い視野で物事を考えられる人物ということです。
未来人がそういう人間と分かっている訳じゃないし、これは未来人がそういう人間であって欲しいという僕の勝手な願望です。
遠い遠い未来に、競争ではなく協力して、世界中の人々が当たり前のように助け合って生きていくことができる、そんな時代が来ると信じております。
今日の記事は、そんな時代を目指すための小さな力となれば良い。
そんな思いを込めて書いています。
地球環境を守る為にできること
この記事を読んで少しでも環境問題に関心を持ってもらえた方、何でも、簡単にできることからでもいいので環境に良いことを始めましょう。
僕もそこまでやってる訳ではないですが、いくつか簡単なものを紹介します。
- 買い物の際、袋・箸・ストロー等は必要じゃない場合は、要りませんと言って断る。
- 車での移動距離を減らし、自転車や徒歩での移動距離を増やす。
- 電気や家電はこまめにスイッチを消す。(エアコンは短時間の場合は切らない方が良かったりします。)
- 新しい家電・車を買うときは省エネ・低燃費のものを選ぶ
- 室内環境も、完全に涼しい、完全に暖かいではなく、我慢できる程度の温度管理にする。
- 車のアイドリングは極力控える。
などです。
それと、ぼくのお勧めの本です。
アルゴアさんも世の人々が、環境問題に関心を持たないのを不思議に思い、環境を守る活動に尽力されています。
ジョージブッシュと大統領選を争った過去がありますが、アルゴアさんが勝ってれば、もっと違った今があったかもしれませんね。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
Yukiでした。
赤面症(治したいという思い)に囚われた青春時代 ~後編~
Yuki(ユウキ)です。
yuki-changetheworld.hatenablog.jp
前回に引き続き、緊張したり、恥ずかしい状況で顔が赤くなる「赤面症」についての後編です。
目次
赤面症に悩む人の真の問題とは?
顔が赤くならないか、皆に変に思われないか気にしながら生き、ある種の「 囚われの身」のようになっていた、僕の思春期。
インターネットで調べて、赤面症に効く塗り薬なるものを購入して塗ってみたこともありました。が、全く効果はありませんでした。
小学校、中学校くらいが、症状と悩みのピークでしたが、高校生になってから少しずつ変わってきました。
赤面症について悩み、考え、インターネットでも色々調べている内に、そもそもこうやって、過度に顔が赤くなることを気にしてしまうこと自体が問題なんじゃないかということに気が付きました。
この状態を赤面恐怖と言うようです。
僕は、顔が赤くならないかが気になって、より緊張を引き出してしまい、それがより赤面を招いてしまうという、アリジゴクのような負の連鎖にどっぷりと嵌まり込んでしまっていたんです。
赤面は、一種の防衛反応?
緊張して顔が赤くなるのは一種の防衛反応のようなものです。
そもそも緊張自体も、ストレス状態から逃げ出す(自分を守る)ために、自分自身が無意識的に発生させるものです。
顔が赤くなるのも、緊張に付随して起こるものなので、(自分を守るために)その状況を回避しようとして、自分の中の無意識が敢えて赤面させているんです。
顔が赤くなることに苦悩させられているのに、それが自分自身が発生させていたものだったなんて、なんというか皮肉のような話ですよね。
赤面症を治す方法はある?
先に言っておきますが、僕は赤面症は完全に治っていません。
僕は、赤面症の負のスパイラルのかなり深いところまで嵌まり込んでいたので、未だに引きずっている部分があります。
僕が人と接する時にとる距離感(自分が傷付かない距離)に大いに影響していることかと思います。
もしかしたら、一生引きずるのかもしれません。
ネガティブなことばかり書きましたが、高校生くらいから少しずつ顔が赤くなることを気にし過ぎない、ということができるようになって、今では赤面恐怖に縛られてはいません。
時々ですが、不意に注目を浴びると、未だに赤面することがあって、そうなってしまうと、昔の自分に戻ってしまって、その間は自分の殻に閉じこもってしまいます。
でもそれは、人生のほんの一部であって、もっと他の重要なことに目を向けられるようになったんです。
じゃあ、赤面症は結局治らないの?と思った方、
治っている方もいると思います。
心療内科等の医療機関を受診してカウンセリングなるものを受けるというのも1つの手だと思います。
ただこれは、費用がかかるというデメリットがあり、その効果も保証されません。
また、荒療法的ですが、敢えて人前に出る機会を増やしていき、注目を浴びても緊張しないように自分を変えていく方法もあります。
この方法で治ったよ!って方も結構いらっしゃるのではないでしょうか?
ただこれは個人的にはリスクがあると思っています。
失敗した場合、逆効果になってしまう危険性があるからです。
また、僕みたいに元々の気質が内向的な場合、そういう刺激の多い生活に変えて、本来の自分とは異なる自分になって生活していくことが負担になってしまいます。とても疲れてしまいます。
もう一つの方法の方がお勧めです。
何人かの芸能人が昔は赤面症だったという話してるのを聞いたことがあります。
歌手の椎名林檎さんも公言されてたと思います。林檎という名前もよく顔が赤くなることから付けたと聞きます。
それってさっき言ってた荒療法のと同じじゃん!と思った方、ちょっと違います。
敢えて人前に出たりする必要はなく、赤面症という自分を受け入れるということです。
この受け入れができると、赤面する頻度は格段に減っていきます。
そもそも他人はあなたの顔色をそこまで気にしてない。
なにか恥ずかしいと思うことがあったり、緊張する場面があったりすることは普通のことです。
そして、そういう場面で顔が赤くなる人もいれば、そうじゃない人もいます。これは単にその人が持っている一つの身体的特徴なんです。
赤面症は、その顔が赤くなるという特徴を気にし過ぎて過敏になってしまった状態です。
でもよく考えてみて下さい。自分以外の他人が存在しなければ、赤面なんか気にならないはずです。
家の中では、髪ボサボサのまま過ごしても気にならないのと一緒です。
要するに人目を気にし過ぎているんです。
しかし、そもそも他人は、あなた(僕)の顔色が変化することについて深く考えたりしていません。
面白がって馬鹿にしてくる人はいますが、それでも、その人にはその人の人生があって、あなたの顔が赤くなることについてずっと考えている訳ではありません。ほんのひと時の時間くらいでしょう。
それに対してあなた(過去の僕)は、必要以上に人目を気にし過ぎています。他人が気にする程度と自分が気にする程度が全く釣り合ってないんです。
一つの悩みに囚われて、人生を損して生きるのはもうやめよう。
前編でも書きましたが、この悩みのせいで僕はだいぶ人生を損したと思います。
色々な可能性を自らシャットアウトしていました。本当に勿体ないことです。
これは他の悩み、例えば顔のニキビを気にし過ぎて人目を避けたりしている人なんかにも共通していることだと思います。
その他にも、色々な悩みがあって、苦悩していることが沢山いることでしょう。
今回の記事が、赤面症で悩む人も含め、少しでもそういった人たちの役に立ってくれたら嬉しいです。
でもまぁ、こういう気付きがあったという意味では、損では無かったのかもしれませんね。
Yukiでした。
赤面症(治したいという思い)に囚われた青春時代 ~前編~
Yuki(ユウキ)です。
恥ずかしくて顔が赤くなる人っていますよね?
いわゆる赤面症です。
僕はこれに思春期を支配された人間です。
赤面症に支配された僕の思春期
正直に言うと、今回の記事は僕の心の中の本当に深い部分までさらけ出すことになるので、書くのに抵抗がありました。赤面症はそれだけ僕の人生に大きく影響を与えたからです。数あるコンプレックスの中でも特に触れられたくない部分だったと思います。過去形で書きましたが、今でも引きずっている部分は多々あります。
でも、今現在、赤面症に苦悩されている人がいて、僕の体験を通した記事を読んで頂けたら、もしかすると今後に生かせてもらえるのではないかと思い、書くことにしました。
長くなると思うので、前編、後編に分けて書こうかと思います。
僕の赤面症が目立ち始めたのは、小学校5年生くらいからです。
もともとシャイな性格だったし、自分に自信がない方でしたから、人から注目されると過度に緊張してしまっていました。
そして、授業中に先生に当てられたりすると、胸がドキドキして、顔が赤くなるようになりました。
自分が発表することになるのが分かっている時なんかは、心の準備ができるので割と大丈夫なんですが、そうじゃない時、例えば突然先生に当てられて発表しなきゃいけなくなった時なんかは、よく赤くなってました。
こういった子は、皆さんの周りにもいたんじゃないでしょうか?
僕以外にも、同じ学校にそういった子は何人かいましたから、そんなに珍しくはないと思います。
しかし、僕はここからさらなる深みに嵌まっていきます。
顔が赤くなったり、吃音(どもり)があったり、腋臭症(ワキガ)があったり、そんな人と少し変わった特徴を持つ子を見逃さない、人の心の痛みの分からない子達が必ずいます。
悪気はなくただ可笑しく笑う子もいれば、面白がって馬鹿にしてくる子もいます。
僕も、人前に立って顔が赤くなってるところを他の生徒たちに笑われた記憶が残っています。
また、中学校の頃、体育の怖い教師がいました。ヤクザみたいな感じの、昔の、恐怖や暴力で生徒を押さえつける古いタイプの教師でした。
僕は気が小さい方だったので、そういった怖いタイプと接する時により緊張しました。
その怖い体育教師に授業中に話しかけられただけで、顔が赤くなり、その教師にそれを面白がられ、「また赤くなるぞ。」「どんどん赤くなるな。」とニヤニヤしながら、からかわれたことを今でも覚えています。
今になってみると、とても幼稚な、とるに足らない相手だったなと思います。
恥ずかしくて顔が赤くなる。ただそれだけのこと。
他人からみれば大したことではないように思う方もいるでしょう。
しかし、当の本人(当時の僕)にとっては切実な悩みであり、悩みに悩んでいました。
他人から注目を浴びることで、顔が赤くなる。それを避けるために注目を浴びないよう、そういった場面を避けて生活していましたし、顔が赤くならないか常に気にしていたように思います。
緊張する相手=(イコール)赤面する危険性のある相手ですので、緊張する相手とはこちらからコンタクトをとることは無かったです。
意図的に避けていました。
不良タイプはもちろんのこと、中学校・高校生活では女子と話すこともほとんど無かったです。
話しかけられても、顔が赤くならないか(もしくはなっているのが)気になって、会話を終わらす雰囲気を出してしまい、相手を拒絶するような感もあったと思います。
友達は居ましたが、その一部のグループの中で、本当に狭い世界で生きていました。
はっきりとは覚えていませんが、こんな自分が嫌で死にたいと思ったこともあったかもしれません。
今思えばもったいないですよね。赤面症に囚われ過ぎたせいで、色々な可能性を犠牲にして生きていました。
後編へ続きます。
Yukiでした。
ブログは収益やアクセスを気にし過ぎず、書きたいことを書く
目次
Yuki(ユウキ)です。
ブログを始めて、半月が経ちました。
ブログを始めた人の9割くらいは、短期間で挫折すると聞きますが、その気持ちよく分かります。
なんてったって、一生懸命書いても誰も見てくれる人が居ませんから。笑
何のために書いているんだろう、と心が折れそうになります。
アクセスアップの難しさ
そりゃそうです。タイトルに近いキーワードで検索してもこのブログが出てきませんので、誰もここに辿り着けるはずがないんです。
googleやYahoo!などの検索エンジンの評価を上げていかないと、検索の上の方には表示されませんから、そこを何とかしなきゃいけないんです。
ブログのシステムについてもなかなか難しくて、勉強が追いつきません。誰か近くに詳しい人が居て、直接話を聞ければ良いんですが、居ない。(悲)
そもそも記事数が少ないですから、記事を増やしていかないといけないんですが、なかなか時間的に厳しいというのが現状で、、、
この調子でいって、この先アクセスしてもらえるようになるのかな?と不安になりまくりです。
何のためにブログを書くのか
記事のタイトルも、複数のキーワードに引っかかるように長めのタイトルに変えてみましたが、本当はもっとシンプルなタイトルにしたかったんです。
カテゴリー名も、検索に引っかかりやすいワードに変えてみました。
なんか、こんな感じで、アクセスを獲得するための記事を書くようになり、書きたくもないことを書くようになるのかな、、、と未来が暗く見えてしまったり。
本当は、お金があれば収益化とかもしなくていいし、純粋に人間関係に悩みを抱える人達の役に立つために記事を書ければ、それに越したことは無いんですが。引きこもりになっている人の就労支援の仕事に就きたいという、小さな夢をかなえたいという思いもあります。
こういったちょっとした矛盾、普段の仕事でもありますよね。なんでこんな仕事をしなきゃいけないのか、お客さんに良質なサービスを届けるというのが仕事の本質なはずなのに、それとは到底関係あるとは思えないことまでしなきゃならない現実が多々ある。
一般的にいうと、そういったことを受け入れていくのが大人なのでしょうかね?
でもこういった矛盾が世の中の様々な歪みを生み出しているんじゃないかと僕は考えたりします。
話がだいぶ逸れました。
またこの話はゆくゆく、、、
ブログは楽しく書いて、続けていけることがまず第一!
そもそも誰にも読まれないというのも、書いている目的が果たせないので、タイトルとカテゴリー名は妥協しましょう。
ただ、内容については書きたいことを書く❗ということだけは曲げない様にします。そうじゃないと絶対ブログを書くことが苦痛になってきて、続かなくなってしまいます。
「のんびり、気ままに」
それに尽きると思います。それでもやっぱり気にしてしまう自分もいますが 笑
「のんびり、気ままに」
「のんびり、気ままに」
Yukiでした。
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